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ダメダメだった10代。現実逃避した20代。自分を見失って、ふたたび、自分と出会いなおす30代。………………………………………………………………家の半径300mには何もない田舎育ち。中学時代は「なんでこうなるの?」と考えすぎて、成績は学年258位/300人。猛勉強の末、19歳で航空会社に入社して憧れだったCAになるも、ストレスで全身じんましん→退職→放浪の旅へ。世界一周中に中南米が大好きになり、グアテマラでスペイン語学校へ通う。 帰国後、10年付き合った彼と結婚して3児の母に。でも、命を育てるプレッシャー/自由のない日々/先の見えない不安に押しつぶさて心も身体もボロボロな状態に。(今思えば、産後うつだったと思う)当時のわたしの口癖は、「こんなママでごめんね…」「もっと、よい妻/よい母/よい嫁に…」「この生活、いつまで続くのかな…」「(働きたくても)私には何もない。」「~だから、私にはできない…」「私だって、もし○○があれば!きっと!!」(お金・時間・余裕)こんな風に、いつも無いモノに目を向けて【タラれば】を嘆いては、1日1日を終えるのに必死で、自分から何かを変えようとする勇気も、心の余裕もなかった。(振り返れば、長男は今でも1番手がかかるw)2歳差で2人目を出産。可愛い!尊い!♡と、苦しい!逃げ出したい!⚡︎が混在して、泣き喚く子ども達をギュッと抱きしめて、自分もわんわん泣いてた。3人目が、妊娠5ヶ月目のとき。子の肺に大きな腫瘍があることが判明。それが、2020年2月。コロナの始まりとWパンチだった。休園で家にいる2人の子のお世話をしつつ、小さな命の炎が消えないように、自分や家族が絶対にコロナにならないように…毎日ただただ、祈る日々。「産声をあげられないかも」そう言われていたけど、出産時は大きな声を聴かせてくれた。付き添いがない出産は、思った以上に寂しくて辛かった。NICUにいる小さな我が子を置いて1人退院するときは、「なんで私、いっしょに家に帰れないのかな…」「あんなに小さいのに肺に大きな爆弾抱えて…」と気づけば勝手に涙が溢れてた。私はもう何も要らないから、神様どうかどうかあの子をお助けください。毎日毎日、ひたすらに祈った。信仰宗教とか無かったけど、「困ったときの神頼み」とはよく言ったもので、この時ばかりは、家の近くの神社⛩️に参拝しては祈ってた。
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子育て(小学生以上)
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