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よろしかったら、お読みください。(2014年のブログより転載)私は3歳の頃、生死に関わる大病を患いました。再発を繰り返すので、主治医は、体が出来る思春期までは、次の2つを守るよう両親に所見を告げました。私に愛情を注いでくれていた両親は、主治医の所見通りに、私を育てたのです。1つめは、感情的に平穏を保つこと。興奮したり、大騒ぎをしたり、怒ったり、おお泣きしたり、これらの感情の起伏がよくない、と。両親は、私に感情的に平穏であるように、事あるごとに、躾けて行きました。2つめは、体に無理をかけないこと。いわゆる、過度なスポーツ、運動はさせない。風邪にも、大変注意を払ってくれていた事を覚えています。外交的だった私は、興味の対象が、おいおいと、考え方とか内面的な事へと、向かって行きました。このようにして、思春期までを育つ事になります。そのうち、心への関心へとなり、能力的な事に向かって行きました。例えば、記憶力とか、そいういった類の事です。意識のあり方で、能力は高まり、人間性も高まる、これらの体験もしました。これでいよいよ、瞑想とか、精神統一を専門とする事になって行くのです。その後、僧籍を得て、人間的な深みや幅を併せ持ちつつ、さらに、東洋医学の裏付けを求め国家資格も得、中国の上海中医学院 ( 現・上海中医薬科大学 ) にも、短期留学致しました。30代の終わり頃には、瞑想指導の実力者として注目を集めるようになりました。出版社からは、取材が舞い込みました。脳力を測定して受けてもらい、それを雑誌の記事にする、という申し出です。躊躇する申し出かも知れません。なぜなら、結果次第で、評判は台無しになるからです。私は、二つ返事でお受けしました。結果は―圧倒的なお墨付きを頂いたのです。この勢いから、出版社からは、精神統一の本も出版出来ました。こうして、瞑想指導家としての道を、何の疑いも、ためらいもなく、歩み続けて行く事になるのです。ところが、それは、父親の病によって、根底から覆される事になります。「 話がある……」父親がある日、私を呼び戻したのです。その用件とは、癌に侵されて、余命が幾ばくもないという告白でした。重篤な癌に罹っていたのです。長年遠く離れ、しかしながら、健康を確信していた私にとっては、衝撃でした。更に、その癌になった原因は、C型肝炎ウィルス輸血によるもので、病状は、到底受け入れる事の出来ないものでした。私は奮い立ちました。今こそ、今まで積み上げて来た修行の力で、父を救うのだ!今まで出来なかった、親孝行を果たすのだ!この熱い思いに、燃え上がる私でした。しかし、前半以上◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇プロフィールの後半の文章です。 今では全く考えられない事ですが、注射針の使い回し、汚れた血液を輸血する事によって発症する、C型肝炎ウィルス輸血問題。当時の、社会的大問題だったのです。裁判も大々的に注目されました。その中にあって父は、訴訟を起こす事はしませんでした。さらに、私に心配をかけまいとして、いよいよになってから、申し渡したのでした。こんな理不尽な事があってはならない!頭の中が、一瞬真っ白になりましたが、間もなく、立ち向かう闘志に燃え上がったのでした。必ず助ける!これは、多くの人の希望にもなってゆくのだ、と。私が固い決意ができた根拠は、2つあります。1つは、心の力を最大限高める事による治癒、延命。もう1つは、心の世界の根幹原理原則であるところの、求めれば得られる!望めば与えられる!やれば叶う!根幹の原理原則への、頑なな信念があったのです。私をして、揺るぎのない、立ち向かう闘志へと駆り立てたのでした。もともと、この信念こそが、何の疑いも迷いもなく、瞑想指導家としての道を歩ませていたのです。私の使命感でした。ところが現実は―末期症状として、全身に痒みが生じており、じっと静かにして、気持ちを落ち着ける事が出来ませんでした。それより、ナイロンタオルで躰を掻いてもらったほうが助かる、という状態でした。また、それらのために夜が眠れない―眠るための睡眠薬の方が、よほど有り難い。非常に辛い状態だったのです。イラつく顔も、伝わって来ます。ちょっと我慢したらどうですか?こう思ってしまうのは、健常者だからなのです。本人の立場になってみないと―それどころではない、ということです。父は、亡くなりました。私が、指導家の道へ進めた、根幹の信念。求めれば得られる!望めば与えられる!やれば叶う!大きく、ぐらつきました。今までの自分は、ただ、頭ごなしに思い込んでいただけだ。現実の、生きる現場に立てば、違うのではないか!この思いが、大きく膨らみ、今までのように、情熱を持って、瞑想とか、精神統一とか、そういった事をお伝えしようという情熱は失せました。むしろ、何か違うのではないか?これは、何か違うのではないか?例えば、学校の先生が、生徒に、努力は実る。こう言い切れなくなったら…教壇に立てるでしょうか?情熱は、持てるのでしょうか?同じ事です。そして、静かに、冷静に見渡してみると、瞑想力は、必要な人には届けられていない、と。言葉は極端で悪いですが、自分の事だけを考える生き方なら、出来るかもしれません。これは、極端な言い方ですから、ご勘弁ください。家族の為、社会の為、人の為に頑張っている人は、自己犠牲を払っていると思います。そういう人は、ストレスを抱え、自分の気力・体力を消耗しつつ、ない時間のなかで頑張っている!瞑想どころではないー私は、その人たちの為に尽くしたい!私は、その人たちの為に役に立ちたい!私は、その人たちの為に喜んでもらいたい!これこそが、私の使命だ!無条件だ。望めば得られる!誰もが思いつかなかった、いや、やろうとはしなかった、全く新しい道へ、模索へ突き進んで行く事になるのです。続く ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇プロフィールのまとめです。 よろしかったら、お読みください。本当に私がやりたかった事は、... 求めれば得られる!望めば与えられる!やれば叶う!心の世界の、根幹・原理原則だったのです。無条件の力!条件なしの力!心の力をこのようにしてお伝えしたい!このようでなければ、お伝えは出来ない!問題解決のしあわせの力ーそれは、人を動かしている、無意識の領域まで踏み込んでいなければ、問題解決の力には、なり得ない。なぜなら、無意識の世界にこそ、あらゆる原因が潜んでいるのであり、無意識の世界に、心の力が満ちているからです。それがゆえに、精神統一や、瞑想にこだわっていたのです。( 単なる良いお話だけでは、人の苦悩はどうにもなるものではありません )私が使命感を持ってお伝えしたい力、無条件の力!条件なしの力!この力を、〝 しあわせの力 〟こう名付け、10年前から探求を始めたのです!例えて言うならば、人里離れた修道院で、祈りの生活に打ち込む事によって得られる心の力と相当のものを、普通の生活を営みながら、得られるようにする―という探求です。この探求で、非常に役立ったものは、今までの瞑想体験、今までの精神統一体験でした。要するに、その結果に至る、新しい道を創れば良いわけです。言ってしまえば簡単です。が、10年かかりました。簡単にはいかなかったのです。ようやく、その仕上げにこぎつけ、今年7月末、ブータン国へ参る事が出来たのです。私は確信を得ました。そして、人の役に立ちたい!この思いで、日々、友達の皆さんと交流しながら、投稿を続けているのです。以上、3回に渡ってお話致しましたプロフィールです。今後は、投稿の中で語ってまいります。例えば、朝・夜の写真に伴うことばとか、お役立ちマンの人生相談とか、ジェットストリー厶での語りとか、随所で折に触れ、具体的にさせて頂きます。ここまで私の話を聞いて下さり、友達の皆さんには、感謝申し上げます。有り難うございました。
テーマ: Ownd
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