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初めまして、naoです!僕は今、大阪市立大学に入学し、化学や生物を学び、サークル活動に参加したりして充実した大学生活をおくっています!大阪市立大学に在学していることを言うと「naoさんってすごいね!」とか「元から頭がいいんやな」とか言われますが全くそんなことはありませんでした!今でこそ市大に入学できていますが、昔はほんとに馬鹿でどうしようもない生徒の一人でした。私は中高一貫の学校に通っていて、中学の間は真ん中のコースにいました。ただ勉強しても定期考査では下から5〜10番目ぐらいの成績でした。毎年、下の何人かはコースを落とされるシステムで、私もとうとう高校進学時に落とされました。クラスが変わり仲が良かった友達とは、教室の階が違うかったこともあり月を追うごとにあまり会わなくなりました。新しいクラスも初めの頃はなかなか馴染めず苦労しました。頭が悪くなかったら今頃こんな思いもしなかったのにと思いました。この頃に頭のいい大学に行って周りを見返してやろうと思い始めました。まずは元のコースに戻ろうと思い変なプライドを捨て頭のいい子に教えて貰い、なんとか1年で戻れました。幸い下のコースは指定校推薦をもらえる事があって、敢えて、残る人たちや、下のコースに降りてくる人がいたのが、戻れた大きい要因だと思います。「まだ学校の友達が勉強する前に勉強していれば誰よりも頭が良くなれる」そんなことを思って毎日、自習室に通って机の上に参考書を並べ、「やればできる」「見返してやる」と自分に言い聞かせながら閉館時間まで努力を続けていました。しかしその努力とはうらはらに、学校の10点満点の小テストで2点とか平気でとってて、友達から「こんな小テスト教科書少し見ればわかるじゃん」「なんでnaoってそんなに勉強してるのに点数とれてないの?」「ほんとは勉強してないのか(笑)」とずっと馬鹿にされていました。「なんで俺のほうが勉強してるのに他の人のほうが点数とってんねん!」と思いくやしくてくやしくてたまりませんでした。小テストができない僕はもちろん模試もできるわけはなく、高校3年生で受けた模試には偏差値40台がすらりと並び、当たり前のようにどの大学もE判定で、「みんなよりも早く勉強はじめたのに、なんでこんな点数しかとれへんの?」「勉強なんて結局、才能か。」と完全に心が折れてしまい、自分の両親が専門大学の卒業であまり頭がよくないということもあって「自分が勉強できないのは両親の遺伝のせいや!」と何も悪くない親を攻めていました。そんなふて腐れている最悪の状況で、現役の5月に、もう一度勉強に対してモチベーションが上がる出会いがありました。その人は塾の数学講師でした。その人は昔から私のことを気にしてくれていたみたいで、「nao、そんな模試なんか気にすんな!お前の努力してるところは俺が知ってる!こんな所で腐らんとやりきれ!」という言葉をいただき、自分のやってる事は無駄じゃないのかもしれないと思いました。もう一度、受験に向き合いました。夏、朝8時から塾に行き、夜11時まで勉強して帰る。そんな生活の中で成績が伸びていると自分に言い聞かせ勉強していました。しかし、9月以降の模試はどれを受けてもC判定の文字以外はありませんでした。「俺は直前で成績伸びるタイプやから安心して」と友達や親の前では見栄を張って自分に言い聞かせていました。不安と焦りで現実を直視できませんでした。そんな状態で勉強した所で成績は思うように伸びるはずありませんでした。センター試験は630点でした。ここで私はみんなの前では転けたと言いつつも内心よろこんでいました。転けても7割とれてるやん、成績伸びてるんや!これが後に最悪の結果を招くとは、当時、まったく思いませんでした。有りもしない妄想の二次力に自信をもち、私は同志社と大阪市立大学だけ出願しました。同士社は落ちました。そして、市大も落ちました。合格発表の場所で、受かった人達がアメフト部に胴上げされて喜んでいるのを尻目に帰りました。浪人が決定するとともに虚無感に襲われました。「親が汗水たらして働いて稼いだお金で塾の高額なお金を払ってもらっていたのに自分は何やってんやろ」「なんで部活や彼女作ったりしてたやつにまで負けんねん」「くやしい、受験なんて不平等だ、どうせ頭のいい奴だけが成功するようにできてる」毎日何時間も何時間も勉強してきた自分にとって大学全落ち、浪人決定という結果はあまりに衝撃的で残酷なものでした。とどめをさすかのように母親からも「なんでせっかく高い授業料払ったのにどこの大学にも受からないの、ただ机の前に座ってただけじゃないの!」と言われ、自分の味方は誰もいなくなったんだなと思いました。みんながディズにーランドやユニバに卒業旅行にいってわいわい楽しんでいる間に自分だけは予備校探しをしていろいろな手続きをして、浪人生活がスタートしました。「他の受験生よりももう1年勉強するんだ!成績はよくなるやろ」と希望をもち、勉強をしはじめましたが結局何も変わりませんでした。全部現役のときと同じ。努力しても偏差値は変わらない。結局はセンス、才能。むしゃくしゃして参考書を破ったり、鉛筆をおったり、とにかく勉強が嫌いになって、しばらくは机について勉強することはなくなりました。勉強もしなくなり、暇になった僕は漫画を買いにくために本屋へふらーっと立ち寄り、「漫画どこにあるんやろ」と思い探していると漫画コーナーの近くにたまたま受験コーナーがあり、ある本に目がいってしまいました。その本は勉強法について書いている本でした。今まで参考書や問題集を読んでいた僕には勉強法について書いてある本の内容はとても新鮮で、たった1日で読み切りました。「これはもしかしたらいけるかも・・・」と思い、逆転合格を果たすために必要な勉強方法をとにかく研究しました。なかには全然うまくいかなかった勉強法もあります。最初は失敗の連続だったものの、自分なりに改良を重ねてアレンジしていくと、徐々にどうやって勉強すればいいのかわかってきました。勉強方法と同時にモチベーションを保つ方法ややる気を上げる方法、長時間勉強する方法なども研究しました。すると、試行錯誤を重ねながら勉強していくうちに、はじめは授業で行う問題が解けるようになっていき、模試でも成績が伸びていきました。自分の勉強方法が確立し、自信を持てた僕は、勉強のペースをさらに加速させました。「これはやれる。自分でもいける!」やっと僕にも希望の光が差し込んできたのだと思いました。とにかく時間がなかったので、この間も改良を重ねました。勉強はもう苦ではなくなっていました。そうして勉強を進めていき、気がつくと模試シーズンが到来していました。模試では市大と同志社はA判定をとっていました。さらには、現役のときには考えもしなかった阪大や名大までもB判定になっていました。周りの友達の成績をきくとC判定やD判定をとっていて少し前までは足元にも及ばなかった周りの友達にも勝っていました。「嘘やろ・・・落ちこぼれのの僕が…」自分でもほんとに信じられませんでした。少し前の自分からは想像できなかったので。はじめて努力が報われた気がして、喜びと感動で体が震えました。そのまま自分が確立した勉強法で勉強を進めてがんがんやっていきました。そしてセンター試験。結果は680点。自信を持って去年と同じく、市大と同志社に出願しました。同士社に合格し、自信がつき、その勢いのまま市大に向けて最後の追い込みをしました。そして、入試当日。現役生のころには試験中に頭がパニックになって「わからない」という言葉が頭のなかにくりかえされて、しまいましたが浪人して確立された勉強法をやりこんでいた僕は冷静に1問1問自信をもって答えていきました。数日が経ち、合格発表の朝にどきどきしながらパソコンの前で待っていると、インターホンがなりました、もしかしてと思いすぐにリビングから飛び出すと封筒が届きました。つばをごくりと飲んで、手汗でじっとりしている手で封筒の中身を確認しました。そこには大阪市立大学の合格通知が入っていて、思わず「よっしゃああ!」と大きな声で叫んでしまいました。ほんとにほんとにあきらめずに勉強してよかったです!自分だけじゃなくて家族もまるで自分が合格したかのように喜んでくれて、「合格おめでとう!」「ほんとに勉強頑張ったな」と何度も何度も笑顔で言ってくれたことは今でも忘れられません。私はこの経験を活かせると思い、大学生になり塾講師のアルバイト。それも浪人生に対しての塾講師を始めました。そして、この勉強法をつたえ、信じて頑張ってくれた生徒達は見事、志望大学に合格しました!合格者の中には阪大や神大といった難関大学に受かった生徒もいます。もっと多くの人に、この気持ちを皆んなに味わって欲しいです。私のような人にも、この喜びを肌で感じて欲しいです。私は自分の経験と塾での経験をまとめメソッド化しました。確かに僕は学校の小テストすらできませんでした。現役のときに受けた大学はすべて不合格でした。浪人しても勉強で苦労しました。それくらい勉強の才能はなかったです。でもそんな僕でも関西最難関私立である同志社大学や総合公立大学ならぜんこく1位の市大に合格できました。私にできて、あなたにできないはずがありません!次はあなたです!!
テーマ: ブログ
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