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はじめまして福山紫生と申します。千葉県松戸市生まれで幼少期は東京都立川市で育ちました。中学時代はサッカー部でした。ポジションはスウィーパーというゴールキーパー前の掃除人でした。当時の体は170cm、80kgというサッカーにはふさわしくない体形をしており、試合中、相手にけがをさせてしまい救急車を呼んだこともありました。チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。高校時代は一変し、帰宅部となり受験勉強に勤しみました。毎日のスケジュールをしっかりと立て当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間としゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらいその後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり親の車を乗り回して、遊んでいました。大学時代は、ミーハーサークルに所属しテニスやスキー、アルバイトに勤しみ、勉強については、それほど、力を入れていませんでした。早稲田大学を卒業後株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と思ったからです。その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。国内医療機器の販売を行う際の2年目にナポレオンヒルプログラムを学び、成績優秀者として、表彰されたこともありました。自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。しかしながら、考え方が大きく変化したのは2002年に子供が誕生したときです。誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。このとき、自らが会社に貢献していないと、「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。娘は完全治癒では、ありませんでしたが、世話を妻に任せ、私は日常業務に勤しみました。娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。その後遺症が障害となり、苦しむ中、父親としては、時間とお金のかかる娘の治療に専念したいという思いから挑戦し続けています。2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、そして、現在に至ります。
テーマ: 家族
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